私とバラちらし〜共に歩んだ10年間〜

10年以上の歴史を持つ鮨かの名物バラちらしはこうして誕生しました。

今年も鮨かの特製新春バラちらしをお買い上げ頂き誠に有難う御座いました。

総数35箱(約120人前)のご注文という大仕事を終え、ホッとしています。

「想像を超える美味しさでした!」という有り難いお言葉をいくつも頂き、料理人冥利に尽きる次第で御座います。

 

年末年始に新春バラちらしを販売する様になり10年以上になります。

その間、少しずつアップデートを繰り返し、今回は数の子とカラスミを使い、食感と旨味をプラスした過去にない完成度を待ったお正月に相応しいものとなりました。

 

バラちらしが持つ長い歴史を振り返ってみると、私の人生と繋がっていく事に気が付きました。

ホッとしたついでに思い返してみたいと思います。

 

鮨かのバラちらしヒストリー

 

 

 

バラちらしが誕生したキッカケ

 

当時サーファーだった私は、南国宮崎の海にハマっていました。

街にはイキツケの飲食店が多数あり、ブーム真っ只中な芋焼酎と共に宮崎料理を楽しんでいました。

 

↑2010年頃。宮崎県高千穂にて。

 

ある日、仲良くなった小料理屋の女将さんから美味しい出汁醤油のレシピを教わり、それを利用した本マグロヅケ丼の開発に着手したのが始まりです。

それは、森伊蔵や魔王を始めとする焼酎、SMAPの曲と共に綺麗な女性が次々と登場する、資生堂シャンプー〝TUBAKI〟のテレビCMが流行っていた2010年頃の話です。

この時教わった出汁醤油のレシピは今でも鮨かのでの基本的調味料になっています。(女将さんは数年前に亡くなりになりました。私が思いを引き継ぐ気持ちです。)

その本マグロヅケ丼の派生として生まれた丼物がバラちらしでした。

 

食べログなどが今ほど発達していない頃だったので、飲食に関する雑誌などを読み、〝バラちらし〟を名物としている寿司店をリサーチ、東銀座に有った老舗寿司店に偵察に行き、それを体験し寿司初の看板商品とする為の研究を繰り返しました。

やがてそれは寿司初のランチタイムでの人気商品となっていったのです。

 

寿司初は鮨かのに。

 

時は過ぎ〝寿司初〟は〝鮨かの〟へと変わり、それまで小丼だけだった〝バラ〟は複数人で楽しめる目にも美しい大箱スタイルに生まれ変わり、〝お好み〟時代のサイドメニューとしても活躍しました。

 

 

春にはサクラマスやホタルイカをトッピング、秋には新物イクラをタップリと。お正月には鰆を主役にした四季折々な〝バラ〟をリリース。

 

 

コロナ期には営業自粛要請がかかるたび、これを手に都内全域デリバリーを行い、世間を賑やかしました。

 

↑アンジャッシュ渡部健さん宅へもデリバリー。

 

やがて新春バラは毎年恒例の商品となり、今も成長を続けています。

 

皆様へ。感謝の言葉

 

令和6年の新春バラはひとまず終了。

次は桜が咲く頃のお花見のお供には春のバラちらしの販売を開始します。

一箱で3~4人前分のバラはご家族での集まりやお誕生日にもピッタリ!

想像の一歩先をいく美味しさ。鮨かのバラちらしをご愛用頂き誠に有難う御座います!